マザーグース


最近『マザーグース』を読んでおります。
あわせて区の図書館からCD借りつつ。
これがすこぶるかわいくて年にも雰囲気にも合わず楽しんでおります。
知っている曲がたくさんあるのです。
「きらきら星」、「ハンプティー・ダンプティー」等を始め、
「ロンドン橋」、「メリーさんの羊」、「いーあい、いーあい、おー」でおなじみの曲まで
あぁ、読書って楽しいなってなもんです。
しかも、これらの背景や歌の続きやらは知らなかったりするので
へぇへぇと関心したりしながらも読めるわけです。
とりわけ「ロンドン橋」などは、


ロンドン橋落ちた♪落ちた♪落ちた♪
ロンドン橋落ちた、
マイフェアレディ〜♪


となっとります。
「マイフェアレディー」ってなんすか?ってことになる。
てゆかそもそも橋落ちてなんでそんなに楽しそうなんすか?というところが
根本的な疑問ではありますが。。。
いくつか解説を読んでみると、どれもこういった説明がある。


架けても架けても落ちちゃうロンドン橋、
こいつは呪われているに違いねぇ、
人柱を立てようじゃないか!
マイフェアレディ〜♪


てな人身供養の歌なわけです。
この曲で幼稚園なんかで
おもしろおかしくゲームをするわけです(今はどうだかしらないけど)
「とおりゃんせ」と合わせて。
なかなか怖いものをかんじますた。


「いーあい、いーあい、おー」の歌詞も
なかなか楽しくて
私の借りたCDでは


マクドナルドおじさん畑をひとつ持っていた。
そこに犬を一匹飼っていた、
。。。


と飼っていた動物の羅列が続くのですが
間奏であのお馴染みのリズムが流れている間に
子供たちも大人たちも皆 こぞって
わんわんにゃーにゃーばうばうめーめーがーがーと乱痴気騒ぎしていて
聞いているこっちも童心に戻って爽快な気分になります。
ぜひ幼稚園でも、というか
なんかのチャリティーコンサートなんかでやってほしいなぁと妄想が膨らんでしまいます。


ヒロト:猛獣系(顔をぐちゃぐちゃにして両手のつめをたてながら)
きよしろー:猫系
故人だけどフィッシュマンズのサトウ:メェメェ
むっしゅ:狆系
憂歌団のヴォーカルの人:蛇系(シーシー言って誰にも理解されない)


などとマザーグースとは直接関係のない妄想に溺れてうっきうっきになるわけです。
「メリーさんの羊」だって
後半どうなってるのか知りませんでした。
これがまた単純素朴、
いわゆるハリウッド映画のCM風に言うと
「忘れていた何か大切なものを思い出させてくれる」歌詞になっとります。
メリーさんの羊はメリーさんの行くところ
どこへでもついて行っちゃって
ある日、だめなのに学校にまでついてくる。
そこでせんせ、おっぱらうのだけれど、
子羊、がっこうのまわりをうろうろぐずぐずメリーさんが来るまで待ってるわけです。
そこで生徒たちが先生に
「どうして子羊さん、メリーさんのことあんなに好きなの?」と尋ねる。
先生の答え、
「メリーさんも子羊さんのこと大好きだからよ」
と来たもんで、


く〜〜、か・わ・い・い・〜ってなりました。
まぁ男と女の関係ではそうはいかないんだけどねと
三秒後にはシラフになりましたが。
ひょっとして
メリーさんは女の子なのに羊の○○○に○○○な悪戯しちゃったんじゃないの?
それでなついてるだけじゃないの?
などと五秒後には「何か大切なもの」までも忘れてしまいました。
はい、すみません。

ことばのみだれ


最近、2,3思うところあったので。
基本的には
ことばはみだれたことなどなかったしこれからもない
もしくは
ことばはこれまでみだれなかったことなどないしこれからもみだれつづける
という立場を取っており
もちろん個人的な勘違いを指摘されるのは
心底ありがてぇと感謝するのですが
不特定多数に向けて最近の若者のことばは。。。という類の小言には
人生の先輩とはいえ
「やめときなよ、知性の浅はかさを自らばらすのは。。。」と小生
思うたちであります。


落語を聴いていると
不思議な言葉遣いがたくさんある。
円生師などは蒲田を「かばた」、高田馬場を「たかたのばば」と
言い張っていたそうで
「かばたまでの切符を一枚」と言ったところ
駅の職員に
「かばたじゃなくてかまたです」と訂正されて張り倒してやろうかと思った
などというエピソードが残っている。
一方で
家元がとあるCDで
昔円生さんが
こうこうこういうことを言っておりましたが
この表現、あたしゃ、変だと思うんだ
と家元、円生師の日本語を訂正しておりました。
また円生師は「是が非でも」を「邪が非でも」だとおっしゃる。
歌舞伎界でもそうだったらしいのだけれど
広辞苑にそんな記載は見当たらない。
となると
こういった先人たちにとって
「どうにも、広辞苑も頼りがない」ということになる。
もう、こうなりゃどうしようもありません。
言葉の乱れを守るなんてことは
鉄砲水にとうせんぼするようなもんです。
きっと今日のこれまでの文章の中にも
間違った日本語があるのでしょう。


そんなことを思う人間ですから
あれ、変だなとふと気にはなっても
何も揚げ足をとろうなんて無粋なことは致しません。
先だっても
涼を取ろうと
近所の喫茶店に入って
メニューを見ると
「抹茶オーレ」とある。
オーレか。。。なんでオーってのばすんやろ?
なんでわざわざネイティヴに通じにくい表記にしたんやろ?
と気になり始めた。
オーレ、オレ、オーレ、オレ。。。
リズム的にはどっちもどっちやしなぁ。。。
オーレオレオレオレ〜♪
あ〜サッカーの応援歌のせいか。。。
オーレの方がいきがいいじゃん!ってことなのかね?。。。
んなはずはないよな。。。
そういえば
ボードレールの表記も変やなと思ってたんよな。
あれもボドレールの方が絶対ネイティヴに通じやすいわなぁ。。。
そうか、ある意味、規則的な表記なんやなぁ。。。
「ご注文おきまりでしょうか?」
「あ、抹茶オーレで」
「抹茶オーレでよろしかったでしょうか?」
「はい、抹茶オーレでよろしかったです」
と嫌味なく答える、アデオスなのだが
そんな私にも
世間に流通している許せない間違いが一つだけあるのです。
雑誌の『ヴァンサンカン』であります。
あれを見ると
積年の恨みみたいなものを感じる。
フランス語を十年習ってやっと気づいたのです。
おれは25歳を十年経ってもフランス語で言えなかったんだ!と。
この雑誌のせいで!
おそらく日本語をネイティヴにしているフランス語学習者の
大半は間違っていると思います、この『ヴァンサンカン』のせいで。
これを教育に悪いと言わないでなんと言おうってなもんです。
まちがってるんすよ、
まちっがてるんす
『ヴァントサンカン』なんです。
許せねぇ〜、十年もだまくらかしやがって、許せねぇ〜と
恨めしく思うのです。
あ、でも
「十歳」のふりがな、
案外間違える人が多いって聞いたな。
日本語でもそうなのか。。。
そうかそうか。
『ヴァンサンカン』
あ〜まぁいいやって気になった、今。
結局のところ
無駄に長い文章書いちゃったということだな。