ぽうこく

お久しぶりです。
功罪五分五分なものは、100パー罪と思うぼくとしては
ネットは罪だな、と決めつけて
しばらくネットを自宅につなげることはよしていたのですが
永久就職ではないけれど職場をいただき
その仕事柄
ちょっと家にネットがないと
メールの返事がワンテンポ遅れるので
やっとこさつなぎまして
一年以上ぶりの更新、
じぶんのダイアリーが残っていることに感動しております。


で、ちょっとおすすめのはてなダイアリーがあるのでお知らせしておきます。


http://d.hatena.ne.jp/bungeijournalism/


「文芸ジャーナリズム論系ブログ」というものです。
ぼくがやってるのではありません。
同僚のものです。
文化・文学イヴェントの情報満載なので
お勧めしておきます。
ほり◯とし◯きやら
あおや◯みな◯といった今をときめくご両人も賞賛しておりました、
便利なブログです。



それではごきげんよう

火事場リポート

あんま、おれって、認識に瞬発力がないんだよね。
元旦デートから帰って
駅のホームを上がると
そこに面する大通りに
消防車が地平線のかなたまで横付けにされていて
咄嗟に木造の我がアパートなのでは?と不安になった。
それでおれじゃないよな?な?おれでは。。。ともっと不安になる。
そんな心持でアパートに通じる、
消防車も入ることができない裏の細道を行くと
消化ホースが続いていて
その行き着く先は
つきあたりの我が棟。
二階丸焦げ。
あ〜やっぱりそうだったか〜と茫然自失。
さらにつきあたりにある自分の101号を見てみると
扉はなんの被害もないので
ここでひゃっほーーい、
おれじゃなかったとほっとするもんだから
事の重大さになおさら気づかない。
それでさらに近付いて見ると
二階の一番左側が焼け方がひどかったので俺の部屋の被害はたいしたことなさそうだと
さらにほっとした。
それでぼうっと眺めていると
消防隊員に生存確認等聞かれたり死人のことをこっちから
尋ねたりして
どうもいないらしいとわかって
さらにさらにほっとしてその日は区役所に
泊めてもらったのでした。


翌日部屋を「自己責任」で開けてみると
そりゃーもう驚きの光景、
見てはいけないものを見てしまったとはこのことで
なんでこんなにひどいの?と思っているところで
なにやら真上が出火元ということを聞き、
こりゃもうだめだと思いつつ奥の部屋を覗いてみると
こたつより上まで土砂が来ており
こたつなんてみつかりませんでした。
そして屋根はなく晴天なり。
瞬間的にすべてあきらめ心も晴天なり。


部屋から出て改めてアパートを前から眺めていると
ほぼ真ん中の二階から出火したことになる。
そしてあっというまに両翼に火柱が走り、
出火もとの部屋の屋根を吹き飛ばし
下の我が部屋はえぐられたわけだ。
嗚呼、火の鳥よ。


そんな茫然自失を他所に
乱入してきたのが
彼女の父親と兄貴でした。
作業服をめかしこみ手にはシャベルを持って。
掘ってみると宝の山でした。
まずはパソコンはこの辺だったと言うとさっさと掘ってくれて
火事の前はこのノート型を開きっぱなしで出かけたのだけれど
最初に顔を出したのはモニターの部分。
土塀だったらしく土が上から落ちてきて
パソコンも
あ〜れ〜、ぺったんと広げられていたのだろう
一面状に発掘されました。
最初モニターが見えたとき
四角い穴が開いていると思ったよ。
データの復元ができるということでとりあえず出しました。
申し訳ないので
服はもういいです、諦めました、と言ったら
彼女の父親に
「こだわりのあったものなんだから徹底的にこだわりなさい」
と叱責されました。
この一言に惚れたねと思う暇もなく
掘ったら出てくるは出てくるは
結局、我が部屋は大して燃えることなく
天井が落ち畳が落ち上の土塀が落ちとなっていたので
これらに圧縮されて保存されていたようです。
もう後は、ほんとに宝探し。
隊長!ドリスのパンツがベルト付きで発掘されました!
青のライダースはとろけてもう着られません!
か、カフス発見、カフス発見、ドウゾ。
彼女は彼女で最初に発見したのが
エロ本の束。
フランスから持って帰った無修正のエロ本。
ぱっくりご開帳でご丁寧にテイモウして
鋭い眼差しでカメラのこちらを指差して挑発しているブロンドが
表紙のエロ本。
「縁起いいんじゃないの〜」、「サイテー」などと言いつつ
楽しんでおりました。
父親にばれないかどきどきだったけど。


そんなこんなで火事場仲間みたいなもんもできて
ついこの間の年末にすみ始めた隣の住民の母親は
わざわざ名古屋からかけつけてひたすら涙をさめざめと流してるし
二階のOさんが最初に救出したのが
二本のエロビデオ
(うち一本が『オナニー大饗宴』とかいうタイトルだった)と
パックが火で変色したレモンティー
「え、なんで、最初がこれなんすか!」とつっこんだり、


また別の上の住民は
ダンボール一箱下ろして来て
ぼくにこう呟きました、
「これだけでした」と。
のぞいてみるともう読めそうもない
焼け爛れた文庫本や
半分近く溶けてしまった小さなポーチ、
それから何がなんだかわからないものが一杯に
詰め込まれている中に
人間なら命を落としているだろうなというぐらい
焼け焦げた小さな小さな人形が二体
目に入りました。
ぼくの視線に気づいたのか
ぬいぐるみを指差して
「でも、これが残ってたから、不幸中の幸いでした
これが一番の思い出なので」と
大の男が消え入りそうな声で言うのを聞いて
目を背けちゃったよ、だって泣きそうになったんだもん。
はしゃいでごめんなさいって思ったんだもん。

御慶(ぎょけい)

まいど。
あ、まいどちゃうか。
久しぶり。
あけましておめでとうございます。
生きとります。
今日も生きとります。
燃える男として生きとります。
それを証拠に
今日、初デートから帰ってきたら
我が家が燃えてました。
わーい。
どこぞの土人よろしく
大掛かりに焦げ焦げの我が裏長屋を見て
この瞬間、世界で最もネタに恵まれた男として
えらくエキサイトしてしまいました。
ちょうど一番はなれた二階から出火したようなので
一階隅に陣取る我が部屋は無事なのですが
水浸し間違いなし。
しかしねぇ
ほとぼりが冷めてみると
真っ先にやだなぁと思ったのが
パソコンのデータだ。
脳汁絞って書いた論文たちが
ずっとんじまってる可能性大なわけで
逆に自分の一番の財産だということがわかりました。
次に服だ。
水浸しなのか〜、
うわぁ大事すぎてめったに着ない
オズワルドの三つ揃えスーツが〜とか思うと
汗、汗となる。
本は案外どうでもいいらしいね。
と思ったら
うわー
マラルメのサイン本持ってんだおれ、うわー、ぶるぶる。

今から区役所に泊まりにいきます。
あ、写真撮るの忘れた。
ニュースでもやってるらしいね。
そんなわけで
図らずも今年の抱負が決まりました。
「燃える」、「俺も負けずに燃えていこう!」ということです。

ことばのみだれ


最近、2,3思うところあったので。
基本的には
ことばはみだれたことなどなかったしこれからもない
もしくは
ことばはこれまでみだれなかったことなどないしこれからもみだれつづける
という立場を取っており
もちろん個人的な勘違いを指摘されるのは
心底ありがてぇと感謝するのですが
不特定多数に向けて最近の若者のことばは。。。という類の小言には
人生の先輩とはいえ
「やめときなよ、知性の浅はかさを自らばらすのは。。。」と小生
思うたちであります。


落語を聴いていると
不思議な言葉遣いがたくさんある。
円生師などは蒲田を「かばた」、高田馬場を「たかたのばば」と
言い張っていたそうで
「かばたまでの切符を一枚」と言ったところ
駅の職員に
「かばたじゃなくてかまたです」と訂正されて張り倒してやろうかと思った
などというエピソードが残っている。
一方で
家元がとあるCDで
昔円生さんが
こうこうこういうことを言っておりましたが
この表現、あたしゃ、変だと思うんだ
と家元、円生師の日本語を訂正しておりました。
また円生師は「是が非でも」を「邪が非でも」だとおっしゃる。
歌舞伎界でもそうだったらしいのだけれど
広辞苑にそんな記載は見当たらない。
となると
こういった先人たちにとって
「どうにも、広辞苑も頼りがない」ということになる。
もう、こうなりゃどうしようもありません。
言葉の乱れを守るなんてことは
鉄砲水にとうせんぼするようなもんです。
きっと今日のこれまでの文章の中にも
間違った日本語があるのでしょう。


そんなことを思う人間ですから
あれ、変だなとふと気にはなっても
何も揚げ足をとろうなんて無粋なことは致しません。
先だっても
涼を取ろうと
近所の喫茶店に入って
メニューを見ると
「抹茶オーレ」とある。
オーレか。。。なんでオーってのばすんやろ?
なんでわざわざネイティヴに通じにくい表記にしたんやろ?
と気になり始めた。
オーレ、オレ、オーレ、オレ。。。
リズム的にはどっちもどっちやしなぁ。。。
オーレオレオレオレ〜♪
あ〜サッカーの応援歌のせいか。。。
オーレの方がいきがいいじゃん!ってことなのかね?。。。
んなはずはないよな。。。
そういえば
ボードレールの表記も変やなと思ってたんよな。
あれもボドレールの方が絶対ネイティヴに通じやすいわなぁ。。。
そうか、ある意味、規則的な表記なんやなぁ。。。
「ご注文おきまりでしょうか?」
「あ、抹茶オーレで」
「抹茶オーレでよろしかったでしょうか?」
「はい、抹茶オーレでよろしかったです」
と嫌味なく答える、アデオスなのだが
そんな私にも
世間に流通している許せない間違いが一つだけあるのです。
雑誌の『ヴァンサンカン』であります。
あれを見ると
積年の恨みみたいなものを感じる。
フランス語を十年習ってやっと気づいたのです。
おれは25歳を十年経ってもフランス語で言えなかったんだ!と。
この雑誌のせいで!
おそらく日本語をネイティヴにしているフランス語学習者の
大半は間違っていると思います、この『ヴァンサンカン』のせいで。
これを教育に悪いと言わないでなんと言おうってなもんです。
まちがってるんすよ、
まちっがてるんす
『ヴァントサンカン』なんです。
許せねぇ〜、十年もだまくらかしやがって、許せねぇ〜と
恨めしく思うのです。
あ、でも
「十歳」のふりがな、
案外間違える人が多いって聞いたな。
日本語でもそうなのか。。。
そうかそうか。
『ヴァンサンカン』
あ〜まぁいいやって気になった、今。
結局のところ
無駄に長い文章書いちゃったということだな。

マザーグース


最近『マザーグース』を読んでおります。
あわせて区の図書館からCD借りつつ。
これがすこぶるかわいくて年にも雰囲気にも合わず楽しんでおります。
知っている曲がたくさんあるのです。
「きらきら星」、「ハンプティー・ダンプティー」等を始め、
「ロンドン橋」、「メリーさんの羊」、「いーあい、いーあい、おー」でおなじみの曲まで
あぁ、読書って楽しいなってなもんです。
しかも、これらの背景や歌の続きやらは知らなかったりするので
へぇへぇと関心したりしながらも読めるわけです。
とりわけ「ロンドン橋」などは、


ロンドン橋落ちた♪落ちた♪落ちた♪
ロンドン橋落ちた、
マイフェアレディ〜♪


となっとります。
「マイフェアレディー」ってなんすか?ってことになる。
てゆかそもそも橋落ちてなんでそんなに楽しそうなんすか?というところが
根本的な疑問ではありますが。。。
いくつか解説を読んでみると、どれもこういった説明がある。


架けても架けても落ちちゃうロンドン橋、
こいつは呪われているに違いねぇ、
人柱を立てようじゃないか!
マイフェアレディ〜♪


てな人身供養の歌なわけです。
この曲で幼稚園なんかで
おもしろおかしくゲームをするわけです(今はどうだかしらないけど)
「とおりゃんせ」と合わせて。
なかなか怖いものをかんじますた。


「いーあい、いーあい、おー」の歌詞も
なかなか楽しくて
私の借りたCDでは


マクドナルドおじさん畑をひとつ持っていた。
そこに犬を一匹飼っていた、
。。。


と飼っていた動物の羅列が続くのですが
間奏であのお馴染みのリズムが流れている間に
子供たちも大人たちも皆 こぞって
わんわんにゃーにゃーばうばうめーめーがーがーと乱痴気騒ぎしていて
聞いているこっちも童心に戻って爽快な気分になります。
ぜひ幼稚園でも、というか
なんかのチャリティーコンサートなんかでやってほしいなぁと妄想が膨らんでしまいます。


ヒロト:猛獣系(顔をぐちゃぐちゃにして両手のつめをたてながら)
きよしろー:猫系
故人だけどフィッシュマンズのサトウ:メェメェ
むっしゅ:狆系
憂歌団のヴォーカルの人:蛇系(シーシー言って誰にも理解されない)


などとマザーグースとは直接関係のない妄想に溺れてうっきうっきになるわけです。
「メリーさんの羊」だって
後半どうなってるのか知りませんでした。
これがまた単純素朴、
いわゆるハリウッド映画のCM風に言うと
「忘れていた何か大切なものを思い出させてくれる」歌詞になっとります。
メリーさんの羊はメリーさんの行くところ
どこへでもついて行っちゃって
ある日、だめなのに学校にまでついてくる。
そこでせんせ、おっぱらうのだけれど、
子羊、がっこうのまわりをうろうろぐずぐずメリーさんが来るまで待ってるわけです。
そこで生徒たちが先生に
「どうして子羊さん、メリーさんのことあんなに好きなの?」と尋ねる。
先生の答え、
「メリーさんも子羊さんのこと大好きだからよ」
と来たもんで、


く〜〜、か・わ・い・い・〜ってなりました。
まぁ男と女の関係ではそうはいかないんだけどねと
三秒後にはシラフになりましたが。
ひょっとして
メリーさんは女の子なのに羊の○○○に○○○な悪戯しちゃったんじゃないの?
それでなついてるだけじゃないの?
などと五秒後には「何か大切なもの」までも忘れてしまいました。
はい、すみません。

野球>文学

何回も言うが
今日、改めて思ったよ、
野球>文学>芸術
何回も言うが
両校優勝でいいじゃないか!
ほんま何回も言うが
箸が転がっても泣ける試合だった。
何回も言うが
イタコよ、山際淳ジ呼んで来い!

さいとうのゆうちゃんが男前なので
デートをボイコットされたので
あ〜1対1で再試合が御の字とか意地悪なこと言ったら
ほんとにそうなっちゃったよ。
明日のことはわからんね。
おかんにも両校優勝ってことで甲子園に電話してくれと言ったんだが
さいとうくんに勝たしてあげたいとつれない返事。
おんなってば残酷だね。
というか顔か、顔次第なんだな。
顔>性格
個人的には
性格>顔
の方がえぐいこと言ってるとも思えるんだが。
顔は整形できるけど
性格は整形できないからねぇ。
悪人正機的に考えると
性格>顔って言うのは
性格悪いよなぁ、
そんなことより
明日の試合は中止で宜しく。
高校野球は悲劇的だよなぁ。

『ラーメン屋』7番勝負

『妾馬(めかうま)』(またの名を『八五郎出世』)
『芝浜』
文七元結(ぶんしちもっとい)』
『薮入り』
『たちきれ』
等々、
愛しくて愛しくてしようがない人情噺は数あれど、
やはり古今亭今輔の『ラーメン屋』にはかないませぬ。
この噺、留学前にすでに聞いていて
当時も、あ〜、ええ噺や〜と記憶しておったのだが、
あれから4年か5年して
改めて聞いてみるってぇと
嗚咽、号泣、阿鼻叫喚なんですわ。
できるだけ涙は我慢しようとするタチで、
というか泣かせようとしとるなと思うと
なんだか勝負を挑まれているようで
泣かなさにニンピニン扱いされたこともある小生、
なにくそと
一週間前にこのCDを聞きなおしてから
連日連夜
今夜こそは泣かされないぞと
頼もう、頼もうと、勝負を挑んでいるのだが、、、
なまじっか我慢しようとするだけに
嗚咽のこじれ具合がこれまたひどく
口を真一文字に必死の形相、
危うく涙が溢れそうになれば
セックス、セックス、セックスと経を唱え
気をそらせようとするのだけれど
次から次へ涙のつぼは波状に刺激され、
ちょいと調子の悪い一日だった夜なぞは
う、う、うと涙のみならず声までももれまする。


確かに
変にナイーヴなところもあって
この手のことには弱いとはいえ
あまりにひどい毎夜の惨敗ぶり、
興味のある方は是非、
今輔師の『ラーメン屋』を聞いて
どれだけ泣けたか報告していただきたい。


ネタばれなんてしらねぇ、
と乱暴なことを思う私なので
どんなストーリーなのか
ここに書き出そうという腹積もりだったが
アカンねん、もう、
頭の中でストーリー、思い出すだけで
あぶないねん。


それと落語の話しついでに
最近出会ってえらいこっちゃ!と思ったのは
枝雀師の小話集だ。
それぞれ『スビバセンおじさん』、『SR』というタイトルが設けられているが、
さすがに首をつるまで落語に入れ込んだ師匠だけあって
ほんの2,3行の言葉でうならせる。


「このへんにおおきぃて
ふっかーい穴があるとききましてな
いっしょけんめい、ほってみたんですが
みつかりまへんなぁ」


とりわけこれが秀逸。


または
「おじさん、おいくつですか?」
「50歳じゃ」
「50歳でしたらいろんなことありましたやろなぁ」
「50歳いうても
生まれてこの方、50歳じゃ
今年でかれこれ30年になる。
50歳を30年もやってると
やっと50歳がみについてきましたなぁ」
といった小噺などは、
うわー、いやな話やで、
今32歳のおれは、
一年しか32歳をできない、
それで33歳になる、
それでまた
一年しか33歳ができない、
「身につかなさ」が雪ダルマ式に増えていきよる、と思ったわけですわ。