アテナイオス『食卓の賢人たち』

思うところがあって、
ラテン語ギリシア語を学び始めた。
ラテン語は十年前に一度習っていて―というか学生を十年以上やってるわけね、こわっ。てゆか丁稚奉公が長すぎる―、
さすがにこの辺がやっかいだったんだと思い出せたりするのだが
古代ギリシア語はというと想像以上にずっとずっと難しいのだ。
ラテン語なんて簡単じゃーーんと思っちゃう、そんな
難しさなのだ。
問題練習を解いていても
行間から、おまえなんか仲間にいれてやんねぇなどというメッセージが聞こえてくる、
そんな難しさなのだ。
それは、まぁおいといて。
おかげでおもしろい古代の本に出会えるのもまた事実で、
先日知ったのはアテナイオス『食卓の賢人たち』という京大学術出版会から五巻で出ているものだった。
いわゆる珍書、個人的な好みで言うと珍本(チンポン)に相当するものだろうが
著者がなかなかつむじまがりな輩だったようで
節々にサンショウの味をまぶしてくれる。
これは全30巻あるらしく、当然日本語訳は抄訳!ということになるのだが、
たとえば、30巻中の第3巻に、こんな一文がある。
「ここでこの書物を終えれば、我々も理性があるとみなされつづけるであろう」とか
また別の個所には
「大きな書物は大きな災難である」とか言っちゃったりするのだ、
全30巻の著者が。
当然、ぱらぱら流し見しただけなので
こまかなことはわからんが、
ぱらぱら見ただけでも、ぷっと吹き出しそうな文章があったりする。
「諺にこういうものがある。「女よ、きゅうりをかじりながら機を織れ」」
てゆか、こんな諺、あるわけないじゃん、といった類である。
よき変人を目撃してしまったよ。


そういえば、この間、スーパーできゅうりだけを一本買っているきれいなお姉さんがいた。
あれはやめた方がいい。