十九世紀フランスのとあるレシピ


先日近所の中華系のスーパーで
憧れの周さん包丁を買おうと
レジにもっていったら
レジの中国人のおばちゃんに
爆笑された。


ちなみに一人暮らし暦十年だが
いまだにみじんぎりができない。
包丁はめったに握らない。
ちょっと泣きたいときに
たまねぎを切るぐらいだ。


味の方もどうでもよく
とはいっても薄口文化で育ったせいか
作った方にはいやなことを言ってしまうことがあるようで
この肉古いんちゃうか?とか醤油入れすぎやろ?とか
関西人総スカンの東京のうどんを見て
「お、緩やかな殺人」とかなんとか言いながら
平気で平らげたりします。
緩やかな殺人といいながら
汁まで飲み干そうとします。
貧乏性なんだね。
それを横目で見ている我が相棒が
私が椀を抱え込み口をつけるや
「死んじゃう〜」
と決まって言うので
「殺して〜」
と決まって答えることにしています。
さて今日ものろけられたことだし、
本題。
もちろんグルメの話です。
今日はメニューではなくレシピ。
オクラのスープです。
こっちにきて驚いたのはフランスにもあるんだということ。
ちょいちょい売られているのが見られます。
ただひょっとしたらフランスにもあるのではなく
むしろ日本にもあるといった感じなのではないかと思い
以前ネットで調べてみると
やはりそうで、アフリカ原産なんですって。
オクラが日本に入ってくるのは明治以降。
ただフランスのオクラは日本のほど好きになれない。
ちょっとぱさぱさしてませんか?
日本のより剛毛でありませんか?
料理の仕方ですか?


メニューと同じくこれも
与謝野文子訳を参照させてもらったが、この人のフランス語を見れば、ネイティヴじゃないかとげんなりさせられる、全く名前負けしていない先生で、メニューの注記を見ても一体何ものなんだぁ!と本を手にじたばたしたくなる先生で、旦那があの阿部良雄で、娘に向かって、ちょっとフランス語まじめに勉強すればお父さんよりフランス語うまくなるわよぉなんて冗談にもならない冗談を言う先生で、その娘は娘で、オヤジの交流関係からあの人間嫌いの芸術家バルテュス肖像画を描いてもらってる。。。(涙)文学の仕事って基本的に貴族制なんすよ、いまだに。作家も含めて、ちぇ、どうせ。でも、この先生の訳文を初めて原文に照らし合わせたけれど、かなーり個性的な訳をする人だなぁと。文章をありえないかたちでばっさばっさと切りながら訳しているわけです。それほどばっさり切るほどのことではないし、学生なら点数もらえないんじゃないかといった感じなのです。でも文学的貴族ですから赦されるわけです。まぁ内容を歪曲してるとも思わないので、私自身も不満はありませんが。
Voilà comment…って初めて見たし、ロワイアルにも載ってないが、ル・ディコにはあった。さすがメルベランジェ!彼一人で作った辞書ではないけど。

1874年10月18日、第4号
「黄金の手帖」
≪第八葉≫
LE GOMBO FEVIS *1
(Biscus excellentus) *2≪スープの後の料理≫


「ブイヨン0,5リットルを煮立たせそこに輪切りにしたGombo fevisを1リーヴル(500グラム)加えます。オクラを煮ている間、ハム125グラムをラードで炒めてから、オクラの鍋に入れ、ラード125グラム、ぶつ切りにしたローストチキン半分、辛口の唐辛子一つを微塵切りにしたものも入れます。それから二時間とろ火で煮込みます。――食卓に出す三十分前に125グラムの小海老、ロブスター半分、蟹三匹と牡蠣十二個、もしくは牡蠣がなければ、予めシチュー鍋でムール貝を開けてそれを一リットル加えます。トマト一個を絞りまたレモン汁も数滴絞ります。――「クレオール風ご飯」と合わせてご賞味ください。」
この素晴らしいお野菜(ピクルスに似ておりますが、縦に畝があります)のレシピに付け加えておきましょう。読者のご婦人方にご紹介できますのは遠方の果物やリキュール、お料理を試食できるとあるビュッフェのご主人のお陰なのです。このビュッフェは近々≪オスマン大通り56番≫*3にて、パリにある南アメリカとオリエントの団体の助成で、開店される予定です。ここに足をお運びの社交界のお客様皆さまが土地の伝統的な料理を広めようとそこに持って来ることになっております。それにこういったご婦人方のうちひとりならず、楽しもうとご自身が料理作りを見守りそして実際に腕をふるいにやって来られます。作ってみようという前に食べてみようとお思いの奥様方などに、お知らせしておきましょう、このオクラ料理はそこで≪10月22日木曜日≫に振舞われます。
そういうわけで、このレシピは、今後のレシピともども、異国の食べ物や料理を販売している≪プロパガトゥール≫のご好意のおかげなのですが、こういった署名が御座いました

あるクレオール夫人


HUITIEME FEUILLET
LE GOMBO FEVIS
(Biscus excellentus) plat de relevé


« Faire bouillir un 1/2 litres de bouillon et y jeter 1 livre de Gombos fevis coupés en ronds ; faire, pendant la cuisson du gombo, revenir 125 grammes de jambon dans le saindoux, et le mettre dans le gombo avec 125 grammes de saindoux, 1/2 poulet rôti coupé en morceaux, et 1 piment fort haché ; laisser mijoter le tout pendant deux heures.—Une demi-heure avant de servir, ajouter 125 grammes de crevettes, 1/2 homard, 3 crabes et 12 huîtres ou, à défaut d’huîtres, 1 litre de moules que l’on a fait d’abord ouvrir dans la casserole : exprimez le jus d’une tomate et quelques gouttes d’un citron.—Servir accompagné d’un plat du Riz à la Créole. »
Ajoutons à cette préparation d’un joli légume (pareil à un cornichon, mais côtelé dans sa longueur) que nos Lectrices en sont redevable au Maître d’un buffet de dégustation des fruits, des liqueurs et des mets lointains, qui va s’ouvrir 56 boulevard Haussmann, sous le patronage des Colonies parisiennes de l’Amérique du Sud et de l’Orient. Toute la clientèle mondaine du lieu s’apprête à y apporter, pour les propager, ses traditions indigènes ; et plus d’une de ces dames, à y venir elle-même par jeu surveiller la confection des plats et mettre la mais à l’œuvre : indiquons, par exemple, aux maîtresses de maison, désireuses de goûter avant d’essayer, que ce gombo sera fait là le jeudi 22 octobre.
Voilà comment cette préparation, due comme les prochaines, à l’amabilité du Propagateur des produits et de la cuisine exotiques, est accompagnée de cette signature


UNE DAME CREOLE.

id:sujakuさんが
ガチョーンと言えば
テレビカメラマンたる私はひるんで
カメラをゴワゴワゴワと揺らさざるを得ない
そんな核心を突いた感想・質問をしばしば漏らされます。
昨日も『最新流行』の異様さをしっかり気付いておられ
驚かされました。
書く方も全く書きがいがあって嬉しく思います。
で、昨日も、「同時代的たらんとした」マラルメのことに気付かれたわけですが
これもまた核心も核心。
私自身がよく思うのは二十世紀の読み手って、
「純粋」、好きだなということだ。
もちろん愛されるに値すると思うけれど、
「不純」を無視しすぎだなとも思うわけです。
逆に、近頃の作り手側は居直りすぎだなとも思いますが。
まさしく、ここに「純粋」ではない「同時代的たらんとした」詩人の姿があるわけですが、
結論を先取りすれば、
これはボードレールの現在性とやらの美学のあおりをもろにくってると考えてしかるべきなのです。
極めて大雑把に記憶を頼りに振り返れば、
1867年にボードレールが亡くなります。
言葉に生きた男が
最後は脳をとろけさせて
ママしか言えなくなって鬼籍に入ったわけです。
その報を知ったマラルメ
ヴィリエに書簡で
ボードレールの後にどうやって続けばいいのか、恐ろしい」てなことを
漏らしております。
それから絶対の詩を書くことを諦めたマラルメ
「一介の文学者に戻る」「絶対の刻印さえ帯びていればよいのだ」と宣言して、
コミューンの戦闘での
硝煙の匂いがまだ残っていたであろうパリに
身重の妻をひとまず置いて
この混乱の地に住む友の制止も聞かず
嬉嬉として
出てくるわけです、
「現在」への飢えを癒すためであるかのように。
ボードレールの後」を目指すおのぼり詩人は
徹底的にジャーナリスティックな文章を書いていく。
詩はこの時期ほとんど書きません。
その一つの到達点が『最新流行』なのだと
私は認識しております。
極端なことを言うと、ボードレールがいなければなかった雑誌なのかもしれません。

*1:Fevisなる語はフランス語にもラテン語にも存在しない。Gombo。オクラ。これはHibiscus esculentusの果実であり、南国では食料にされていたが、当時のパリではまだ知られていない。二十世紀になってもほとんど食されていない。

*2:学生風エセラテン語。「キワメテビミナビスク(ビスク=甲殻類の殻を砕いたポタージュ)」になるという意味を込めたBiscus /Hibiscus、 esculentus/excellentusという言葉遊びか。オクラの学名を取材中に耳で聞いて知った可能性もある。[私としては後者だと思う。マラルメのある種、杜撰なところなどを考えると、何も言葉遊びといった文学性を認める必要はないんでないの?と思うので。]

*3:正しくは58番。要するに後述される≪プロパガトゥール≫[現在はデパート≪プランタン≫。さっき歩いて確認してきた。]