モードなお洋服というやつを
誰かに請われることなくして見ることもなくなり
一張羅生活と言えるほどにもなっていたのだが、
マイ・ブラザーが齢三十を前にして
何を思ったか、
嫁はんの入れ知恵か、
稼ぎのせいか、
にわかに興味を抱き、
私の帰国も間近、バーゲン真っ最中ということもあって
何かとデザイナー系のお洋服に関して打診してくる。
私の知らないデザイナーの名もあったりして
ごそごそとホームページを調べたりして
住所を調べ、そのブチックに赴いたりしている。
リュシアン・ペラ=フィネってしっとる?とかなんとか。
行って値段見てワロた。
来た、見た、帰った。
そんな感じだ。


それで今度は
何やらセレクトショップとして有名らしいコレットへ。
一階は本やらDVDなどのコーナーで
二階がお洋服。
商品そのものもさることながら展示の仕方が興味深くも、
モードというものの矢のごとき空しさがつのるばかり、
こりゃ、きりねぇなと妙な諦念に襲われたのだが、
このはかなさを短絡的に否定するのではなく
一歩踏み込んで美しさを見出してしまう
十九世紀人のドーミエ、ギース、ボードレールマラルメという人たちの
嗅覚に改めて感心した。
モードの曙、大量生産前夜だからこその嗅覚だったのかもしれないが。


結局、何も手にすることなく
一階のDVDコーナーもちょっと覗いてみたが、
そのラインナップに、
眠気もたたってか、
妙に腹を立ててしまった。
ドウデスカ?ボクタチワタシタチイケテルデショ?というメッセージ性に、だ。
これはもう
ダサイと言ってもいいんでねーの?と思った。
モード屋はモード屋だ、
ファッソナブル=軽佻浮薄であると誤解させんばかりなのだから、
といらいらしながら
店を後にしたが
まぁ、今、ねむたくて虫のいどろころが悪いんやろと
自分も店も慰めていたのだが、
眠たくない今でも
やっぱりそう思うので今ここに記す、
ありゃ、イケテナイ、と。
日本で充分でしょう。