読書メモ イヴ・ボヌフォア『ptyxの妄執―夢の批評的エッセー―』


イヴ・ボヌフォア。
フランス人なら凡その人は知っている、現代フランスの大詩人だ。
日本人なら凡その人が知っている現代日本の詩人と言えば、谷川俊太郎ということになろうか。
フランスはボヌフォアで日本は谷川、
何か、嘆息に近い
言葉にならない、嗚呼、という声が漏れてくる。
いや、谷川俊太郎はいい。
戦後の小説家のうちその多くの、
歯車から黒ずんだ油っ滓だの煙だのギシギシ生み出すような文体
痰が絡んで絡んで仕様がない咳のような文体、
文章に文章を埋め込んだような文体、
嫌いではないが、
今更もういいんじゃないか
Word使えば、誰だってそんな文体になっちゃうんだし、
むしろ谷川俊太郎のような
自分自身にではなく
書かれる対象に
愛情を感じるような文章がこれからはいいんじゃないかと思うので
谷川俊太郎はいい。
問題はよりによって選択肢は谷川俊太郎だけというところにある。
ああ、日本だ、と思ってしまう。


最近ボヌフォアの本が出た。
全30ページというほとんど冊子のような本だ。
冊子のようではあるが、
値段が10ユーロ超えていたので(1ユーロ×136円)
本と呼ぶことにするが、
内容は題名からし
マラルメの「yxのソネ」という詩に関してだ。
yxで韻を踏むという極めて技巧的な詩であり、
その中のひとつが「ptyx」という
少なくともフランス語には存在しない単語なのである。
昔から数多くの研究者たちが議論してきたが
いまだに定説というものはないし、将来もないであろう。
この謎めいた詩について詩人ボヌフォアが満を持して物申すわけだ。
かといって、ここがボヌフォアのかっこいいところなのだが、
なりふりかまわず、
俺、詩人だから、と
好き勝手なことを論じているわけではない。
明らかに、少なくとも主要な論文には目を通し、
マラルメ研究の歴史的な流れというものを
はっきりと知った上で執筆しているのである。
つまりこれを一冊読めば、
マラルメについて
アカデミックな世界も含めてその雰囲気が
的確に伝わってくるということなのである。


まず最初にページを捲れば、
その副題に戸惑う。
批評的エッセーとはなんぞや?ということである。
エッセーはどの意味にあたるのか?
「試論」か「試み」か?大穴で日本語で言う「エッセー」か?
一通り読んでみると、
これがどうやら大穴の「エッセー」らしいのだ。
つまり内容は、逆にアカデミックな論文にありがちな
野心と思い入れのおんぶにだっこ状態から
羨ましくも開放されていつつ、
要するに絶えず断定をさけつつも
説得力のある慧眼を披瀝してくれる。
価値の点からしても
やはりこれは冊子ではなく本なのである。


続く(予定)。