『英単語』その11

 低地ドイツ語族に関して、これだけに限って少し仔細に検討してみよう。過去に残された最も古い文学の痕跡は四世紀のものであり、ウルフィラスによる『福音書』のモゾ・ゴート語訳がそれであり、この言語はそれが話されたダキア*1の村民達によってこう呼ばれていた。この資料は、今日英語まで続いている語族に記された最古のものとされており、その荘重な様子や古代的で堅苦しくも豊穣、そして手の入っていないままの屈折*2を見て現代人は驚かされるのだ。幾行か、主禱文の一節乃至二節を抜き出してみるのも興味深い。


VAIRTHAI VILJA THENIS, SVE IN HIMIA YAH ANA AIRTHAI
Be-done will thine as in heaven yea on earth
(御心の天に成る如く地にも成させ給へ)


HLAIF UNSARANA THANA SINTEINAN GIF UNS HIMMA DAGA
Loaf our the continuous give us this day
(我等の日用の糧を今日も与え給へ)


SVASVE YAH VEIS AFLETAM THAIM SKULAM UNSARAIM
So-as yea we off-let those debtors of ours
(我等に罪を犯す者を我等が赦すが如く)


 この言語の拡がりは、ドナウ流域からバルチック沿岸及び内陸奥部まで追う必要がある。教育は高地ドイツ語で行われ、この低地ドイツ語は民衆の間に限られていた。オランダ語とフランドル語はそれぞれ都市文学や未開地固有の文学を受容し合い、そうして平地ドイツ語及び新たな低地ドイツ語(フリージア語)となる。これこそが生き生きとした新芽であるが、一方死滅したのはバタヴィア語、メナピ語、フランシ語である。
 アングロ=サクソン語を見失わないように。
 サクソン族とは何だったのか?アングロ族に関しては、アングロと彼ら自らこのように称していたのであって、サクソンはと言うと、フランク族に則ってヨーロッパ北西の島、ブリテンの土着民がこう呼んだのであるが、ここは特に五世紀にサクソン族によって侵入されたのである。ゲルマン族の祖先は恐らく紀元前に既にこの地に入っていたのだが、今度のこの子孫達はどこからやって来たのか?エルベ河畔やバルチック海沿岸の南西並びにデンマーク半島と大陸を結ぶ地峡からであり、彼らはまさしく、近隣故にスカンジナビア語の痕跡を留めた平地ドイツ語の一種を話していたのである。被征服民であるブリテン人はと言えば、ユリウス・カエサルが先立って既にこの地を征服していたことにより幾らかラテン語の色合いを帯びたケルト方言のひとつにあった。十九世紀になっても未だ見られる名残、カンブリア系、つまりキムリミック語と言ったものは、ウエールズ語やコーンウォール語としてウーエルズ人やコーンウォール地方の西方に完全に追い遣られた言葉であるが、これらの言語は我が国のフィニステールや嘗てのアルモリカ地方の低地ブルトン語と結び付いたものであった。また純粋なゲール語が(最終的に)スコットランド語となり、アース語がアイルランド語、マンクス語がマン小島の方言となるのである。
 ケルトとラテンの語が幾つかアングロ=サクソン語に残っており、このアングロ=サクソン語を当初三つの同種族、つまり長きに亙りそれぞれ別々だったアングロ族とサクソン族そしてジュート族が話していたが、それが島の言語となったのである。


錯綜しているので単純に。
ゲルマン民族の大移動以前、
ブリタニアではケルト語が話されていた
(カエサルの征服によりラテン語の影響も受けていた)。
ゲルマン民族の大移動によって、ブリタニア
アングロ=サクソン語が流入ケルト語を凌駕する。
その名残として、
ウェールズ語コーンウォール語などがある。
これらは現在のフランスにあるブルターニュ地方の方言(ブルトン語)と結び付いていたものであった。
(ちなみにブリタニアとフランスの一地方名であるブルターニュはフランス語ではまったく同じ綴りである。)

*1:現在のルーマニア辺り

*2:言語学で言う複雑な語尾変化。例えば英語の不規則変化動詞。