『英単語』その12

 八世紀の年代記作家ビーダによると現在の英国の北部及び東部がアングロ族の土地であり、南部並びに西部がサクソン族のものであった。ジュート族に関する記述は残っておらず、ただワイト島とケント州の一部に住んでいたということだけが分かっている。ケントのジュート王国が最初に『福音書』を受容し、アングロ族のノーサンブリア王国の改宗以前に既にこの地には教会が栄えていたが、このノーサンブリア王国が、キリスト教国としてその支配権を全土に確立したのである。実際に、ラテン語は、言われるよりずっとケルト語の衰退期にも知られていただろうが、再び、布教活動によって、この国土に普及しそうな勢いだったのである。だがアングロ=サクソン語が、二世紀前に、流入していたことにより、恐らく現在の英語は(フランス語やイタリア語にスペイン語がそうなったように)ロマンス語のひとつにならなかったのであり、一度ならずこの語は持ち堪え、バラードや雄弁術に関する作品を齎すことになる。聖職者や聖人たちが伝えたラテン語は残ったとは言え、その土地の言語にはほとんど残らず損なわれてしまったのである。上に述べた年代記述作家も、ラテン語で筆を取ったが、彼の死ぬ頃、その仕事を訳す準備をしていた。また彼は、種族の過去全てを纏めたその元の文章の中で、同時代の詩人の一人、『天地創造』『堕罪』そして『贖罪者』といった重要な唄を記したケドモンについて語っている。かの修道女ヒルダが取り仕切っていたホイットリー修道院において、この素晴らしい『三部作』の聖歌隊が編まれるのだが、後のサクソン語訳しか残っていない。つまりこれはキリスト教主義が新しい文学に与えた影響ということであるし、また同じくベーオウルフの作品のように別の賛歌や古い英雄譚、国の叙事詩がこのノーサンブリアの正確な位置を明かしてくれるのである。ベネディクト・ビスコップ[ママ]*1アルクィンはノーサンブリアのサクソン人であった。

*1:正しくはブノア・ビスコップ