『英単語』その15

 簡潔に、ここまでの話で、アングロ=サクソン語はどうなっているのか?
 再び、主禱文の幾行かを引用するのがいいだろう。前回と同じ箇所であるのは、この言語の進化もしくは退化を判るようにするためである。


  GEWEORTHE THIN WILLA ON EORTHAN, SWA-SWA ON HEOFENUM
  Be-done thy will on earth so-as in heaven
  (御心の天に成る如く地にも成させ給へ)


  URNE DAE GHWAMLICAN HLAF SYLE US TO DAEG
  Our daily loaf give us to day
  (我等の日用の糧を今日も与え給へ)


  AND FORGYF US URE GYLTAS, SWA-SWA WE FORGIFATH URUM GYLTENDUM
  And forgive us our debts so-as we forgive our debtors
  (我等に罪を犯す者を我等が赦すが如く)
 

 ≪屈折≫がかなり残っているのではないだろうか。しかしさらに≪前置詞≫もその≪語の前≫に置かれているようで、それと共に≪格変化≫が重複しているように思われる。数行だけでも特徴ある細部が見受けられるのである。文法がごく僅かにしかないかくも短い抜粋で、判断するのは難しいとは言え、それは、豊穣なのか粗野なのか、精彩があるのか無味乾燥なのかといった言語の文学的な質に関してそうなのである。さてここまで多くの前提的なことを述べて来たわけだが、結論を言えば、(ここではあまり多くのことを断じないようにとは思っているが)、アングロ=サクソン語は、英語となるまでの紆余曲折を経てイル・ド・フランスの言葉の影響を受ける前に、それ自身、粗野どころではない、そう、力強くて若々しくて詩を作ることが出来る、従って西洋のあらゆる言語の中で最も洗練された言語として存在してるということである。その綴り方の成熟と完成度、その表現形式を用いるに当たっての規則正しさ、つまりラテン語作家の翻訳や雄弁術と詩の実践に必要なこと全てを、この言葉(まず最初にケルト語を征服し、それから完成され、キリスト教圏のラテン語に抗い、後にノルマンディー系のフランス語が入ってやっとのことで影響を蒙るこの言葉)は自足していたのである。加えてそこには種族の真の高貴さがある。