『英単語』その20

 これまで幾つか抜粋した文学上の傑作のうち後半のものによって切り開かれ、固まってゆく国語の登場について、幾つかの説明が程なく上で述べた事実を後付してくれる。ウイクリフによる『聖書』翻訳や『農夫ピアス』といった二つの重要作品は、とりわけかつての方言の基準を示している。というのも我々の言語形成期のフランスと全く同じように英語に先立つ混乱期には方言が幅を利かせたからである。どの地域も、人々は自らの土着の言語に徐々に緊密になってゆく中で、土地の隠語が醸す魅力があるのだからとフランス語をうまくやり過ごすために、幾多のお国言葉を遍く取り入れたのだが、大多数の主要方言は漏れなく次の二つに帰着させることが出来る、つまりアングロ=サクソンの歴史が絶えずそれぞれに向かい合って来た、古ノーサンブリア語である生粋のエングリッシュ*1であり、西部の古サクソン語であるウェセックス方言がそれである。この間で、マーシア方言が生じ、それがミッドランド方言を齎し、以来、ペニン山脈西方の領地及び東部周辺、そして南部のテムズ流域を含むミッドランド州の地域全てを境に、それは話されたのである。北部方言は従ってスコットランド低地、ノーザンバーランド、ダラム及びヨークシャーのほぼ全域の俚言であり、南部方言は、サマーセットシャー、グロスターシャー、及びヘレフォードシャーとウースターシャーの一部で話された俚言である。方言らしきものは、どこでもそうだが、ひとたびある言語の優位性が認められればそこで俚言となったというわけだ。上で過去全体が示されたわけだが、古い北部の言語から離れ、それ以降に目を向けなければ、それは落ち度ということになろう。スコットランドは、十五世紀に、王国となるが、この歴史的事件が古ノーサンブリア語に命を再び吹き込み、今のスコットランド語となるのである。いつものようにひとりの詩人が現れ、スコットランド語を聖別するのだ、すなわちダンバーその人である。最初の賛歌の叙情的な火によって今も生き生きとしている、バーンズはその唄によって、そしてウオルター・スコットは、その小説言語に割って入る幾多の対話において、彼らのお国訛りの古い栄光を若返らせている。これは脱線なのか、否。何故ならば、本土に押し付けられた言語とすっかり同化してしまうことに抗う、方言の郷土愛といった表立たない性質について述べることは、重要な事実の原因を示すことになるからだ。伝統及び土着語の遺産への回帰はキングイングリッシュの誕生とともに起こっているのだ。ヘンリー三世治下、騎士が権勢を誇っていた頃、その領主達は、民衆に彼らの御触れを伝えられないのではという懸念を抱くものの、かつて彼らが蔑んだ俗語を用いること以外に理解させるにはこれより優れたどんな手立ても見出せてはいない。ヘンリー三世は、彼自身も英国の幾つかの領地に対し、1258年敢えて訛りで崩れた英語によってひとつの布告を行っている。九十年たった後もそうであり、1362年、勅令によって英語が公式に発布されるまで待たなければならない。しかし、完全に纏まったそして完全に洗練された生き生きとした言語は議会に見向きもされず、そうなるとこういった言語が生じることなどあり得ないのだ!従って(私が行ったように)キングイングリッシュから言語の貴公子、チョーサーまで続く黎明期を、こういった王家の文書と同じだけ認めつつ論じることが適当なのである。

*1:Englisc