文彩「アンチテーズ」

jedisunefleur2004-06-01




こちらのスーパーに行くと
お肉のコーナーに
必ずロチ用の肉が
でーんと構えて売られている。
甘やかされた少年、
それに甘えてきた小おっさんとしては
このロチ肉を見て
羨ましいなぁ お前と声をかけたくなる。


ただそれだけでは
型崩れしそうな肉塊に
紐がぐるぐる巻かれているので
でーんと構えられているというわけだ。



昨日イル・ポスティーノを見た。
何か詩が生きているという感触を
たまには感じたいと思って
ネルーダの詩集をちょいちょい
読んでいた。
南米のワキガの香りが
ぷんぷん漂って
羨ましいやらむず痒いやらだったが
気になって
ネルーダにまつわる
この映画を見たわけだ。
内容は
抱いていたネルーダの実像と違って
紋きりな芸術家の肖像といった
感じがしないでもなかったけれど
泣ける
泣けるよ、
バスタオルもってこい!
というほどだった。


阪神の野村監督が
長嶋や王に決して敬意を
示そうとしないように
やっぱ映画は悪だと
なおさら思うことにした。


それはともかく
この映画の中で
教育のない郵便屋が
詩を学ぼうとする件で
「メタファー」ってなんぞ?
ネルーダに尋ねるところが
なかなか印象深いものだった。


ふと思った。
レトリック辞典なるものが
日本にもあるのだろうか?
フランスは辞典バカの国で
そんなもん迷うほどあるのだけれど
フランス人ではない私としては
これはこれで
こっちはこれで
という文の彩を同定する教育と言うものを
超基本的なもの以外に
受けた試しはないのは確かだ。
あんなに西洋かぶれな土地なのに、
誰か手ほどきしてくれよ
ネルーダじゃなくてもいいからさ
とはいっても
もう三十。
ええかげん自分で学びとらな
埒があかんなと思い
死ぬまでこつこつ
レトリックなるものを
コレクションしていこうと思ったわけだ。


型崩れしたロチ肉にならないように。

クロード・レヴィ=ストロース*1
『野生の思考』(大橋保夫訳)より


もしある意味において、宗教とは自然法則の人間化であり、呪術とは人間行動の自然化――ある種の人間行動を自然界の因果性の一部分をなすものであるが如くに取り扱う――であると言うことができるなら、呪術と宗教は二者択一の両項でもなければ、一つの発展過程の二段階でもないことになる。自然の擬人化(宗教の成立基礎)と人間の擬自然化(私はこれで呪術を定義する)とは、常に与えられている二つの分力であって、その配分だけが変化するのである。

いっぱつめは基本的な
「アンチテーズ」というもの。
対句 対照法 などと言われるものだ。
名文家になるにはまずはこのアンチテーズを
十八番にすることがその第一条件と言ってもよいだろう、
三日坊主ともたないかもしれない
コレクションをやるのなら
第一条件なるものを
己に刷り込んでおくのがベストだろう。
そういうわけで
美しい例として
シャトーブリアンの例もあったし
探せばヴァレリーなんかにもごろごろあっただろうけど
ここは
内容そのものが面白かったし
名訳と言われるこの本の訳者が、
デテルミニスムという謎めいた単語、
判で押したように
決定論」などと訳し
なんじゃこれは!
松田優作さながらに読者を
怒らせ嘆かせ混乱させていた単語を
「因果性」と訳したのに痺れたこともあり
学者兼美文家のレヴィ=ストロースの一節を。

*1:ジーパンではない