ジオット

jedisunefleur2004-06-18


メトロのポスターは油断も隙もない。
先日も『GIOTTO』というやけにでかいポスターを見かけ
足をとめてしまった。
急に足を止めたものだから
後ろの人がぼくの背中に突っ込んでしまい
オ、パルドン!と謝ったのだが
その人も
余所見をしていたらしく
パルドン!と向こうも謝ってきて
ぼくと並んで足を止めた。
彼も
『GIOTTO』のポスターに目を向けていたのだ。
興味あるのか?と案の定話しかけられた。
コンナノニホンジャアリエマセンカラと
答えはしたものの俺に話しかけるな
話しかけても話はつづかんぞぉこらぁという
オーラを出していたのを
知ってか知らずか
その白人奴
熱心にメモを取り始めた。
ソルボンヌでジオット展をやっているという。
これはひとりでもいかなあかんなぁと思わせる展覧会だ。
デートついでに展覧会というのが日本では
定石だった。
それはいわゆる雰囲気のあるデートのためではなく
ひとりで絵画展に行けないという理由からで
ただ単に寂しい上に
異様に疲れるという単純な理由もあるけれど
ひとりでしかつめらしい表情をしている自分が
おかしてしょうがなくなるからだ。
横に誰かいるとなると
この絵のどこがええか
おもろいこと言うてみいとか 
このモデル、ええボインしとるとかと
ちゃちゃを入れることができる。
けれどパリには時折
ひとりででもはってでもこりゃいかなあかんと
思わせる展覧会があるので困ったものだ。
そういうわけでジオットの簡単な予習である。

 チマーブエは充分巧みに「誇り」と「畏れ」を表現した。その弟子、ジオットはというと気品の画家になるべくしてなった。チマーブエを当時のミケランジェロとすれば、ジオットはラファエロだ。彼はフィレンツェから遠くない田舎に生まれ、どこにでもいそうな羊飼いであった。その彼が羊の番をしているときに、そのうちの一匹を石筆で石盤に描くのをチマーブエが見た。その絵に感嘆し、すぐさま父親にお願いしてフィレンツェまで連れ帰り、絵画界にひとりの真の芸術家をもたらすことができると喜んだ。
 まずこの羊飼いは師を模倣したが、師を越えることなど時間の問題であった。


スタンダール『イタリア絵画史』「第八章 ジオット」より


明晰であらずんばフランス語にあらずを
ヂで行くような
フランス語。


チマーブエをフランス語で言うと
シマビュなんだね。
フィレンツェはフローランス。
海外系の固有名詞は耳で聞くと
なかなかやっかいだ。
古代の神話の作者や登場人物など
それはもう悲惨だが、
それ以外でも
結構、口をあんぐりなんのことやら
ということがしばしばある。
バックはバッハ
ボルジェスボルヘス
アーンリッシュ・アーンはハイネ
ニッチュはニーチェ
というわけでフランス語の読みに従って
シェークスピアを言おうとして
しゃけすぷあーる、しぇけすぺあーる??と
四苦八苦していたところ
シェークスピアと変なフランス語訛りではあったが
普通に発音された。
やればできんじゃん。


・チマーブエ
本場ウフィツィの方が有名のようだけど
ルーブルにもある。
≪荘厳の聖母(マエスタ)≫ 


・ジオット
1265頃−1337。
イタリアのカリスマ聖フランチェスコ キチの画家。
ルーブル所蔵作品の情報を整理したいので
ここでは聖フランチェスコとは違うけども
またジオットの作品と断定されているわけではないけれど
ジオットのものとされている
作品を。