ジャン・コクトー『双頭の鷲』

jedisunefleur2004-09-27

とどのつまり、
どっちがジャンでどっちがジャンヌだったのか?
はたまた互換性ありまくり?ということにしか
興味が還元されないのだ
コクトーの映画は。
コクトーを芸術家として好きになることがあるのだろうか?
褒める人によっては天才的な、あるいは天使のような、
しかし私にとっては
軽佻浮薄なコクトー、とりわけその映画。


先日本棚をほじくりかえしていたら
三島由紀夫のフランス文学講座』という文庫(ちくま)が
何の因果でこんなところにまで紛れ込んでしまったのか
まったく思い出せないが
ま、
とにかく
見つかったのだ。
その昔、
三島由紀夫を「素人くさい」と大放言して以来、
ノーマークな作家だったので
なおのこと何の因果か見当もつかない。
「素人くさい」といったのは無理もない。
ヌーヴォーロマンかぶれの青年、
さすがにそれに食傷気味になったところで
石川淳やら安吾やら大江健三郎の後半やら
どあつかましい文体で箸休めをしている青年期の真っ只中にいて
その合間に三島由紀夫の『金閣寺』を読んだところで
おめがねとやらにかなうはずもない。
そんなことを思い起こしつつ
ぱらぱらと『フランス文学講座』をめくってみると
これがなかなか卓見に満ちていて
止められなくなってしまった。
ラディゲ、ラシーヌ、ジュネ、バタイユ等々のことが
記されているのだけれど
む、む、む、「素人ではないな」と
当たり前のことに気付かされた次第。


あとがきで編者の鹿島茂
コクトー論についてははしょった旨を書いていたので
ひょっとしたら
コクトーのこと好きになれるかも知れないなぁという期待に胸膨らませ
日本に帰ったら探してみよう。
三島とコクトー、同時に二人好きになれる、
こんな期待っていいことじゃないか。



目下のところ、
コクトー
私の頭の中では
バルベーやロベール・ド・モンテスキューといった
文学史的にはわりとどうでもいい
ダンディー屋といった認識程度ではありますが。
お!ジャケツの着こなしかっこいいとか
文字の書き方、ソォクール!とかいう程度。
で、今日は映画『双頭の鷲』より。
私としては
相変わらずの糞映画で
お話といい
ジャン・マレーの寒いほどのデェコ(大根)ぶりといい
これでもかこれでもかともはや肥溜め状態ではあるものの
やはりどこかしら救いようがあるものです。
オーリックの音楽もさることながら
やはりこの映画は衣装が見ものであります。
んで、キャプっときました。


こんなにも毒づいたことを
後で恥ずかしく思える時が来てくれればいいのですが。


ちなみにDVDは日本限定で生産されています。
衣装を見るためだけでも価値はあるかもしれません。
白黒のほうが美しく見えるのは私だけでしょうか?


ではでは
手持ちのテクスト集で
名シーンとうたわれているところを荒い粗筋を合わせて最後に添えておきます。


≪あらすじ≫
十九世紀ドイツ。
その一国の女王は
三十そこそこの年増女。
女王然として
傲慢高慢大胆な女だ。
しかし
結婚式当日に暗殺された
夫である王のことを今でも愛している。
以来、彼女はヴェールで顔を覆い
毎年命日に宴を催している。
そんな十年目の夜に
瀕死のとある若者が
女王の部屋の窓から忍び込んでくる。
アナーキスト、スタニスラス(ジャン・マレー)である。
恐ろしいほど王に似ている彼は
女王を殺しにやって来たのだ。
しかしその美貌を目の当たりにしたスタニスラス、
そして
王の生き写しの
スタニスラスを目の当たりにした女王、
すぐさまお互い恋に落ちる。
女王は言う、
もはや女王である私は死んだのだと、
今ここにいるのはただの一人の女なのだと。
しかしスタニスラスは追われる身、
いっそ添い遂げられないのなら、と
女王は故意にスタニスラスを挑発する。。。

スタニスラス
何たる静けさ。羊の鈴の音も聞こえない。


女王
この静けさが嫌だったのに。


あなたに話しかけているのは一人の女。お分かり?
(長い沈黙)


スタニスラス(目を閉じて)
ああ神よ…分りたいものだ。


女王、(小声で)
ああ神よ、私に嘘を認める力をお与えください。言いたくないことを私に言わせてください。
スタニスラス…


スタニスラス、(同じ調子で)
今ならあなたを殺せるかもしれません、あなたを二度と失わないように。


女王
さあ、私のそばに、そう。(スタニスラスはそばに跪く。)ひざに頭を。
お願いです、もう何も問うてはなりません。


Stanislas : Quel calme. On n’entend même pas les cloches des troupeaux.


La Reine : Je n’aimais pas ce calme. Il me plaît.
C’est une femme qui vous parle. Comprenez-vous ? (Long silence)


Stanislas il ferme les yeux : Mon Dieu…Faites que je comprenne.


La Reine bas : Mon Dieu. Donnez-moi la force de m’avouer mes mensonges. Faites-moi dire ce que je ne veux pas dire. Stanislas...


Stanislas, même jeu :
C’est maintenant que je pourrais vous tuer pour ne plus vous perdre.


La Reine : Petit homme, venez doucement près de moi… Venez.
(Stanislas s’agenouille autour d’elle. ) Posez votre tête sur mes genoux.
Ne me demande rien d’autre, je vous supplie.


L’Aigle à deux têtes

うーん、辛いです。
いくら古典主義の復活だと言われたところで
さぶいぼが出ました、正直なところ。
文法的にもめんたまとびでるようなところもなく。
ただ
「何たる静けさ」というケル+名詞という感嘆形、
割りと使われ、
それを耳にするたびに
ちらっと
何たる何々と日本語化されるので
えらくかしこまった表現のように思え
いまだ違和感を禁じえないのですが
先日も
なんかの勧誘で
「いやいま忙しいから」と断ると
「ケル・トリステス!」(直訳すると、何たる悲しみ!)と言われて
うわーこんなとこでも言うのかぁと感心したということを
友人に言うと
「ケル・メルド」(直訳すると、何たる糞ッタレ!)と言ってるのを聞いたという報告を受けて
なんでもありなんだなぁと思い至った次第。