少しでも
理性が残っていれば
辞世の言葉は
おとん、おかん、すまん
だったのではないか。
そしてそのおとん、おかんは、
海外に住む子を持った親として
あの三人組みへの罵詈雑言を忌み嫌っていたであろうに、
社会に対して、すまんと頭を下げた。
そんな私と同じ親不孝者の死を
こうやって想像して
やっと
少しだけ悲しい気分を感じることができた。
こういう大事件が起こる度に
身体性を伴うことの決してない
自分の貧困な想像力が嫌になってしまう。
たえず曇りガラスだ。


曇りガラスの向こうは風の街
問わず語りの心が切ないね
枯葉一つの重さもない命...


人の(俺だけか?)心のリアルはそんなところか。
結局、人の死よりも自分の無能力に悲嘆してしまう。
なんとかならんものか。
一発芸人、詩人は何をやってるんだ、
ここには凄まじい救済の詩空間があるのに。


で、また青臭いこと書いてしもたという俺の意識もまた別にあるんだよな。