ローデンバック『死都ブルージュ』

ミレー『オフィーリア』



変な体勢で文字をうちこんでいるうちに
尿意とか便意とか催しちゃって
でも
文字うちに夢中になっちゃってて
やっときりのいいところだと思って
あわててトイレにかけこもうとしたら
もうとっくに足がしびれちゃってて
ひ〜ッ
なんてことありませんか?
ぼくは今それでした。
いや
今日は美しい小説の話をしようと思ってたので
なおさらこんなびろ〜な話をしちゃいけないんですが。

『死都ブルージュジョルジュ・ローデンバック著。
(なんでロダンバックではなくローデンバックって読むのかは謎。
ベルギー式なのか?)
1855年から1898年。
早死にの作家です。
この男やもめの物語は
1880年代初頭に発表されました。
これで一躍時の人となったそうです。
マラルメにも彼は認められておりました。
マラルメはだれかれとなく褒める(彼の見上げた長所のひとつ)のだけれど
ローデンバックに対してはマジホンキだったように思えます。
そんなローデンバックはというと
ちゃっかり『死都ブルージュ』の中でマラルメ
オマージュを捧げていました。
今日はそこからの抜粋です。
ただ日本語にしてみて、テンションは下がりました。
自分の日本語に、です。
いやでも
ちゃんとした翻訳なら
きっと楽しめると思います。
かつて今はなき福武文庫にあったと思うのですが(岩波文庫にもあったはず)
最近はついぞ本屋で見かけなくなりました。
興味があれば図書館でパラパラしてやって下さい。
死んだ妻を
なつかしがるばっかりに
街で見かけたうり二つの踊り子(当時は半ば売春婦扱いだった)と
恋に落ちる、
当時の婚前交渉ですから街でとびきりのスキャンダルに、
といったウジウジした物語です。
日本人向けです。
「オフィーリアのよう」と言うので、
ミレーのオフィーリアを載せておきます。
ハムレットに出てくる悲しいお嬢さんです。

 生気のない水辺と通りのものいわぬ大気の中にいると、ユーグはあまり辛いと思うこともなく、ますますゆったりと死んだ妻のことを思った。よりはっきり彼女が見え、よりはっきりしゃべるのが聞こえ、運河に沿って道すがらオフィーリアのようなその顔を見付け、遠くのくぐもったカリオンの歌声の中にその声を聞いたのだった。
 街もまた、かつては愛されもし美しかったが、同じようにその思い出を形作ってくれた。ブルージュは彼の死んだ妻だった。そして死んだ妻はブルージュだった。全てが同じ運命にひとつとなっていた。それが死都ブルージュ、街そのものが石造りの河岸に埋葬され、運河の冷たい動脈が走っていた。そこには海の大きな鼓動も届いてはいなかった。


Dans l’atmosphère muette des eaux et des rues inanimées, Hugues avait moins senti la souffrance de son cœur, il avait pensé plus doucement à sa morte. Il l’avait mieux revue, mieux entendue, retrouvant au fil de ses canaux son visage d’Ophélie en allée, écoutant sa vois dans la chanson grêle et lointaine des carillons.
La village, elle aussi, aimée et belle jadis, incarnait de la sorte ses regrets. Bruges était sa morte. Et sa morte était Bruges. Tout s’unifiait en une destinée pareille. C’était Bruges-La Morte, elle-même mise au tombeau de ses quais de pierre, avec les artères froides de ses canaux, quand avait cessé d’y battre la grande pulsation de la mer.

 彼女は驚くでもなく、この出会いを予期していたかのように返事をしたが、その声にユーグは心底驚いた。声までも!あの妻の声だ、うりふたつ、耳によみがえる、同じ声色、同じつやのある声。<類推>の魔が彼を弄んでいたのだ!それとも顔には秘密の調和があって、目ごと、髪ごとに声が決まるのだろうか?


Elle répondit, sans avoir l’air surprise et comme s’attendant à la rencontre, d’une voix qui bouleversa Hugues jusqu’à l’âme. La voix aussi ! La voix de l’autre, toute semblable et réentendue, une voix de la même couleur, une voix orfévrée de même. Le démon de l’Analogie se jouait de lui ! Ou bien y a-t-il une secrète harmonie dans les visages et faut-il qu’à tels yeux, à tels chevelures corresponde une voix appariée ?


Georges Rodenbach, Bruges-La-Morte.