映画の中の引用その1 アンドレ・テシネ『野生の葦』

jedisunefleur2004-12-12



俺が夕焼けだったころ
弟は朝焼けだった
日本が東京オリンピックで燃え上がっていたころ
アルジェリアは焼け野原だった。


友人が何ヶ月か前に引越しをした。
ただでさえ不自由な海外生活で
一年も経たないうちに越そうというのだから
よっぽどのことだったのだろう。
聞けば
よくあることに
階下の騒音のせいだという。
階下の住人は老人だったそうだ。
昼は好々爺なのだが
夜になると人格が変わるのだ。
夜な夜なラ・マルセイエーズを絶叫し
あいまあいまに
「助けて、助けて」と壁を叩くのだという。
昼のジキル爺さんは、よく思い出話にアルジェリア戦争のことを
語ってくれるということだった。


最近日本では
あの白装束の
傷痍軍人をとんとみかけなくなった。
ハイド爺さんももうすぐいなくなるだろう、
それからフランスも日本と同じく
戦争を最も知らない世代に取り仕切られることになるだろう。
戦時中に物心はついていたけれど
赤紙までは受け取っていない世代のことだ。
目で見ただけの世代のことだ。
ほんとうのことを見た人は目を潰したい思いさえ感じたかもしれない。
もう一度人生を繰り返せるなら、
スフィンクスに死のナゾナゾを出されても
「それは私だ」とか「それは人間だ」などと
英雄面して答えることなど
答えを知っても言わないかもしれないな、
「私だ」とか「人間だ」などというアピールをぐっと飲み込んで
国中に災難を撒き散らすようなことを避けて
個人的な死で終えようとしたかもしれないな、
とジキル=ハイド爺さんの話を聞いているうちに
考えが飛躍してしまった。


小津のあの謎めいた『秋刀魚の味』という映画に
このシーンだけで泣けるというのがある。
それはいかにも下町風情のバーで
万年じいちゃん笠チシュウと
ふつうのおっさんカトウ大介が戦争のことを話すくだりだ。
二人は海軍で上司・部下の関係だったという設定になっている。
リュウチシュウが言う
「戦争に負けてよかったかもしれないなぁ」
するとふつうのおっさんは、一瞬戸惑いを見せつつも同意する
「そうかなぁ…
そうかもしれないなぁ」
チシュウ爺の推量形と大介おじさんの「…」という間が
できのいい落語を聴いているようで
実に気持ちがいいのだけれど
(映画の題からして「目黒のさんま」という噺を想起させる)
そのうちに、大介おじさんは
岸田今日子ママに軍艦マーチをリクエストし
ママにも上司にも敬礼を促しながら
所狭しとバーの中を行進をするのだ。
このときの敬礼は、一般的なイメージと違って
ほぼ垂直に敬礼の手が立てられ
高い宮尾すすむといった体なのだが、
これは甲板の上では人がたくさんいるので
ああいう方式になるのだそうだ。
この狭いバーには
やっぱり海軍式の敬礼がよく似合う。
このシーン、
画面の隅から隅まで平和を滲ませつつも
決して起こってしまった戦争を無闇に否定することもなく、
かつての同僚たちへの鎮魂にもなっているのだ。
これは戦争を体験していないとできないリアリティだよなぁ、
総理!
と何度見てもうなってしまう。


やすもんのヅラみたいに話がヅレすぎてしまった。


先だって見た映画にアンドレ・テシネの『野生の葦』という作品がある。
この映画は
のどかな緑と広大な青空が広がる一地方が舞台なのだが
やはりバックボーンが戦争(アルジェリア戦争)なのだ。
その戦争がらみで引用された詩がなんとマラルメだった。
マラルメがこんなリリカルになるのかと
嗚咽を漏らしそうになった。
高校生である主人公の兄が出兵ということになり、
弟の先生に命がけの愛の告白をする。
決して嫌いではないのに
先生はそれを断ってしまう。
彼は帰ってこなかった。
村で葬儀が行われる日も先生は
悲しみをこらえて授業をやっていた。
そこで読まれるのがマラルメの「青空」の最後。


私はとり憑かれた。
青空!青空!青空!青空!

Je suis hanté.
L'Azur!L'Azur!L'Azur!L'Azur!

と声を震わせとぎれとぎれに最後まで読むや
先生は教卓で生徒の目もはばからず泣き崩れてしまう。


日本語だとちょっとあれかなぁ。
詩そのものもこんなに人間くさいシーンに合うものではないのだけれど
片田舎と雲ひとつない晴天と
それとは無関係な人生の苦しみ
(9・11、飛行機が突き刺さる瞬間の空もそうだった)という映画の中では
効果的だったし、
高校生でも読めるマラルメ(日本だと学部生)として
真っ先に読まされる詩からの引用というのは
ややもするとベタなんだけれど
これはまさしく高校の授業の一こまということもあって
あぶね!とグッと涙をこらえなくてはなりませんでした。