映画の中の引用2 『チボー家』


ここ何年か
スガシカオに似てると何度か言われ
おとついも言われたので
ええかげん顔ぐらいしっとこと思って
画像検索したら
似ててうれしい人じゃないの。
(でもちょっとナルシストっぽくって大丈夫なのかぁ?とも思う)
とにもかくにも今日からスガシカオファンです。
まぁでも誰かに似てるって言われるのは
なんだか複雑な気分です。
とりあえずよくある顔立ちだしな。
眼鏡っ子で髪が野放図というところが似てるかもな。


そんな下世話な話より
『チボー家』っていう映画はこりゃすげぇですぜ。
フランスのテレビで放送された
いわば大河ドラマみたいなもんですから
字幕付きではないのだろうけど
ネット時代ですから
Les Thibault
で探せばゲットできるかと思います。
字幕なしでもすすめるのは
字幕なしでもオレ見れるんだぜという自慢では決してなく
むしろたいして未だに聞き取れないオレだからこそすすめるのであって
全6時間ということもあり
さすがに一度には見る気にはならないけれど
まずは、チボー家を読まなくて済むということ、
この手の文芸作品を便利映画と若干揶揄気味に言うのですが
それでも数十年の歴史がぎっしり詰め込まれた映像なわけで
文化史としても存分に楽しめるわけです。
やはり真っ先に目が行くのは服。
19世紀末から始まるわけですから
最初は一人で着られない服であるのが
徐々に簡素化されてゆくわけです。
しかもこちらは石の文化、
ちょっとカメラの位置を工夫すれば
今の街の風景でも簡単に19世紀の街並みになってしまうというところです。
まったく太秦なんて必要ない。
時代によって小物もちゃっかりガレ風の装飾だったり
機関車のみならずクラシックカーが走っていたり。
それにしてもクラシックな男物の服を見て思うのは
ジーンズにレプリカがあるのに
なんで19世紀あたりのヨーロピアンな服がレプリカされないのか?ということです。
ボタン式のアンクルブーツとか超かっちょいいのに。
生まれ変わったら靴職人になって現世の恨みを晴らしたいと思う今日この頃、
デザイナーどもよ、おまんらのインスピレーションなんぞ、いらんぜよ
とコレクションの写真を見てしばしばぼやくわけです。


さてこのドラマにも引用がありました。
これも非常に効果的でありました。
ランボーの「母音」を
少年チボーに何か呪文のように唱えさせると言うシーンでした。
ランボーの引用と言えば
ゴダールの『ピエロ』での


見付けたよ
何を?
永遠さ
太陽に混ざり合う地平線のことさ


というのを思い出すのだけれど
今後は『チボー家』での「母音」ということになるでしょう。
悪ガキチボーは親父に怒られて
寄宿舎に入れられるのですが
そこはほとんど監獄、
何の贅沢も認められないところで
聖書以外の読み物も禁じられている。
入所した少年は
さっそくみるからに意地の悪そうな管理人に愛読書を取り上げられる。
それがランボーでした。
意地の悪い笑みを浮かべて去る
管理人の背中に
声を張り上げて
とうとうと「母音」を暗誦するのです。
唱えているうちに
他の部屋の子供たちも
無表情なまま
戸を一斉に叩いて
さきほどまでの異様な静けさが
一挙に爆発するのです。
男がシローーンス、シローーンス(静かに)と叫びながら
廊下を出てゆくのだけれど
寄宿舎の非人間的な雰囲気を
異様なほどまでに高めていて
実に印象深いシーンでありました。
ランボーの「母音」は
わりと教養レベルに近い作品なので
ここに出していてもいいのではないかと。
そう簡単に日本語化できるとは思わないし
解釈さえおぼつかないと思うけれど。

「母音たち」


黒いA、白いE、赤いI、緑のU、青いO、母音たちよ、
いつの日かお前たちの秘められた誕生を語ろう。
A、酷い悪臭のまわりで飛び跳ねきらめく蝿どもの起毛した黒いコルセット、
真っ暗な入り江。E、蒸気と天幕の純白、
誇り高き氷河の槍、白き王、花びらの慄え。
I、緋布、吐血、美しき口唇の笑み、
怒りや改悛の陶酔の中の。
U、輪廻、緑黄色した海の神聖なる震え、
動物どものちりばめられた原野の平和、錬金術
学究の広い額に刻み込む皺の平和。
O、耳慣れぬ高い音に満ち満ちた至高の<ラッパ>
<世界>と<天使>の横切るしじま。
−おお、かのオメガ、<かの目>の紫線よ!


Voyelles

A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu : voyelles !
Je dirai quelque jour vos naissances latentes :
A, corset velu des moustaches éclatantes
Qui bombinent autour des puanteurs cruelles,
Golfs d’ombre ; E, candeur des vapeurs et des tentes,
Lances des glaciers fiers, rois blancs, frissons d’ombelles ;
I, pourpres, sang craché, rire des livres belles,
Dans la colère ou les ivresses pénitentes ;
U, cycle, vibrements divins des mers virides,
Paix des pâtis semés d’animaux, paix des rides
Que l’alchimie imprime aux grands fronts studieux;
O, suprême Clairon plein des strideurs étranges,
Silence traversé des Mondes et des Anges :
− O, l’Oméga, rayon violet de Ses Yeux !


<鑑賞もしくは謎>

謎1
ランボーの言葉を借りて
「私の記憶が正しければ」、
たいていの冒頭の訳は
Aは黒、Eは白、Iは赤...となっているかと思う。
専門家が訳したのだから、
おそらくはそうに違いないのだが、
それでも、なぜ、上で試しに日本語に置き換えたように
呼びかけではないのか、やはり疑問が残る。


謎2
「いつの日かお前たちの秘められた誕生を語ろう」と
未来であることを考慮すると
それ以降の、母音たちの連想ゲームさながらの修飾は
母音の誕生ではないと考えるのが妥当であろう。
とするなら
以下は
そもそもいったいなんなのだということ。


謎3
ずぶの素人が
何か言うのは恐れ多いのだけれど
素人が素人なりに感じたこと、
それは
母音を象形文字のように捉えようとしている意識が働いているな、ということだ。
事実、有名な解釈として
Aを逆さにしたら御開帳、
Eを上向きに寝かせたら、母音じゃなくてボインだよといった
徹底的にエロティックなものがあり、
十代の少年が書いたということであれば、
多いに可能性のある解釈だけれど、
もしそうだとしたら
相当、大人びた隠蔽ぶりじゃなかろうか、というある種の矛盾を感じなくもない。


謎4
Uの行を一読して思ったのは、Virides(緑黄色と暫定的に訳したもの)という
見慣れない単語についてだ。
造語だと言ってよい。
ヴィリディアン・グリーンとかいう英語があったはずだし、
これに近いフランス語も存在するようで
フランス語のほうは、
化学的な物質で黄色や緑に反射するアルカロイドなどとあって
すこうし、どろりとしたイメージをここに感じてもいいかと思うが、
最初に感じたのは、
造語で韻を踏むか、おい!ノストラダムスじゃあるまいし、ということだ。
ここに、ある種の反逆児らしさというか、
悪く言えば子供っぽさを感じたわけだが、
スペルチェッカー内蔵のワードで原文を打ち込んでみると
同じ行の「震え」vibrementという名詞形も存在しない語らしく、
チェックが入る。
一行で二つも掟破りな語を用いているということだ。
ランボーの色が「緑」と言われているのを思い起こせば
子供っぽい勢いというよりも
緑への何らかの執着心がこうさせているのか?という思いも頭をよぎる。


謎5
母音の順序も意図したものだろうが
最終行は、「紫」に母音が収斂し
サンテーズ<統合>という
詩人らしい夢の雄叫びを上げるわけだけれど
「オメガ」に冠詞がついているのは、
なにかしらのニュアンスがあるだろ?ということ。
とりあえず、「かの」と付けておいたけれど。


きりがないのでこのへんで。
うん、これでランボー研究者とお友達になるきっかけができたな。