ターナー、ホイッスラー、モネ展

ターナー、ホイッスラー、モネ展≫に行った。
もう終わってる上に
海外で行われた展覧会のことを記すのは
ただの備忘録としてということもあるけれど
何よりもまず、ボヤキテェ〜という思いからだ。
会場を出て
第一声が、モネられた、だった。
第二声が、頑張ったって感じやないね、だった。
第三声が、ガキの使いやあらへんで!と、振り返る度、腹が立ってくる。
そもそもの目的が、おっターナーとホイッスラーをじっくり見る機会やないか
ということだったのだが、
ターナーとモネに挟まれてホイッスラーの
あの挑発的な白、どないや白、どや白、でや白、
セザンヌよりも早い、そして親しみやすいコンポジション
拝むことはできないだろうけど
また違う側面も眺められて、それはそれでよしだなと期待に胸膨らませて行ったのだが。。。
てめぇんちの冷蔵庫の残り物で適当に料理して
さぁ召し上がれ、やっつけフランス料理ですよ!といった体のものだった。
モネ多すぎ。ギー。
そもそも私はモネのよさがあんまりわからないのだ。
印象派だとか文学だと象徴派と名の付く芸術様式は
密かに便秘派と呼んでいて、身構えることが相変わらず多いのだが、
やっぱり今回の展覧会も、あかん、こりゃ、明日、お通じないぞと
もやもやとした気分にさせられた。
案の定、
モネの代表作、というか印象派の代表作である
「印象 日の出」もあった。
この絵を何回か目撃しているが、
見るたびに、「昭和の町工場 日の入り」という題を思い浮かべてしまう。
光化学スモッグな臭い、
思いっきり息を吸い込んだら、
ひ〜なんて嗚咽をもらしてしまうあのかほりを思い出してしまって
「日の出」はあかんやろ、日の入りやったら、それはそれで味があるけど、
と愚痴りたくなるのだ。
やっぱり、もやもやとした雰囲気なら
モネ以前でその上モネよりも抽象度の高いターナーの方が
かっちょいいと思うのだが。


とはいえ、見所もあった。
モネ、ホイッスラー、マラルメの書簡だ。
三者三様の字体が拝め、
とりわけマラルメの死の報に接したホイッスラーの遺族への感動的な書簡、
モネの、絵のタッチそのままの瞬間瞬間をおおあわてで捕らえようとしているかのような字体など
やっぱり見ていてぞくぞくした。
そうしてまた、こうして比較してみると、
マラルメの字体っていうのは
日本人の英語のノート並に几帳面で
非常に読みやすいなぁと改めて思った。
もっとも読みやすくてもっとも読みにくいのであるが。


というかおれは寒い中、絵を見に来たんですぜ。