国家の品位の真意

私はウヨクでもサヨクでもありません。
ムヨクであります。
とはいえ、愛国心といった言葉にだけは
ビンビンに反応して
少々頭の中では意固地になってしまいます。
国家を愛するって。。。
国に誇りって。。。
いすの脚元で生まれたひよこじゃないんだから
もっともげすな愛じゃないですかとしか思えないのです。
そりゃもちろん
人類が生まれてこの方、
おれたちゃひよっこだったのだし
これからもそうなのだろうから
愛すなとは言わんが
愛さないように努力したらどうなんだと言いたいわけだ。
わたしなんぞこの鍛錬が功を奏してきて
WBCの日本韓国戦を見ていたときに
あちらがたのライトが目もさめるようなスーパーファインプレーをしたときに
あまりの美しさに思わず手を叩いて喜んじゃったよ。
ありゃ、日ごろの行いが悪いはずのないプレーだったからね。
今でも脳裏に焼き付いております。
そんなことより、
自分が所属しているだけで
愛するなんてこと
愛の量を誇るなんてことは
ちょっと考え直したほうがいい。
大家にお金払うときに
住まわせてもらってどうもありがとうとは思っても
大家を愛してるなんてやつはいないだろう、
その程度でいいじゃないっすか、
国家とはでっかい大家に過ぎないのです。
もっとわかりやすくいえば
クラブの姉ちゃんにほれるに似たり、だろう。
こいはこいでも金もってこいがほんのこいなり。
花魁におかぼれ(片思い)するに似たり、だろう。
まぁ
おかぼれも三年すれば色のうちっていうから
愛すなとは言わんけれど、
それはひよっこな愛だと思うべし。
国家を売春婦といっしょにすな!と思われる向きもあるかもしれないが
国家ごときを売春婦と一緒にしないと説明できないことが俺はくやしいと
むしろ思うのだが。
てか、
売春婦に惚れるほうがまだいいだろう、
取られるのは金だけで
命にまでは及ばないのだから。
花魁のマブになる輩はいるかもしれんが
お国太夫のマブになるやつなんていないんだし。
国を愛せというこの機運、平和に飽きた平和ボケにしか
あっしには見えません。