ピエロ・パオロ・パゾリーニ「教皇へ」

jedisunefleur2004-01-22

あんたの死ぬ何日か前、死が
あんたと同じ年のある男に目を向けました。
二十歳のとき、あんたは学び、その男は労働者で、
あんたは、高貴で、お金持ち、男は下層階級のごろつきでした。
けれどもお日様のおかげであんたらのまわりで
古いローマはこんじきに輝き、あれほどの若さを取り戻すことができました。
私は彼の亡骸を見ました、かわいそうなズケットの亡骸を。
彼は夜な夜な、飲んだくれ、市場のまわりをぶらついて、
それからサン・パウロからやってきた路面電車に轢かれ、
しばらくプラタナスの間のレールを引き摺られました。
何時間も彼はそのまま車輪の下に放置され、
野次馬が何人かぐるりとまわりを取り囲み、彼をじっと見ていたけれど、
手遅れでした、人影もまばらでした。
あんたに生かせてもらってる人たちの一人、
老いぼれの警官が、ろくでなしさながら服をはだけて
近付く人々に「失せろ!」と叫んでおりました。
それから彼を運ぼうと救急車がやって来ました。
誰もいなくなって、残ったものはただ
ぼろぎれだけ、
そこから少しばかり離れた 夜やってるカフェの主人は
彼をよく知っていて、来店した人にこう言いました、
ズケットが電車の下敷きになって、それでおしまいさ」
それから何日かしてあんたが死にました。ズケットはあんたの使徒と人類の
大きな軍団の一員でした、
かわいそうな酔っ払いは、身よりもなく、屋根のある家もなく、
夜な夜なうろつき、なんとか生きておりました。
あんたはそんなこと何も知らなかったし、それに彼のような数え切れないほどの
ほかのキリスト者を誰も知りませんでしたね。
こんなこというのは酷かもしれませんが、なぜ
ズケットのような人たちはあんたの愛に値しなかったのですか。
粗末な場所があります、そこには母や子らが
ずっと長い間、前の時代の埃や泥にまみれて
生活しています。
あんたが暮らしたところからそれほど遠くはありません。
サン・ペトロのきれいな穹窿から見えるところに、
そんな場所がひとつあります、ジャスミンというところなのですが。。。
中腹が採石場で掘り返され山です、その下に、
池と新しい家の並びの間に、
みすぼらしい小屋の塊があります、家などと言えたもんじゃありません、豚小屋です。
あんたのひとつの身振り、一言で、
そこで生きるあんたの息子である人たちに屋根をつけてあげられたのですが。
あんたは身振りひとつ示さなかったし、一言もつぶやくことはありませんでした。
マルクスをお認めになるなんてことは問題じゃないのです!
長い長い生活の年月に打ち寄せる大波が
あんたを彼から、彼の信仰から遠ざけました。
それにしてもあんたの信仰とやらは憐れみというのものがないのでしょうか?
数え切れないほどの人たちが、あんたの在位中、
あんたの目の下糞の中、豚小屋で生活しておりました。
ご存知の通り罪を犯すとは悪行を行うことではありません。
善行を一切行わないこと、これこそ真に罪を犯すこと。
どれほどの善行をあんたはできたことでしょう!それを一切なさりませんでしたが。
あんたほどの大罪人はいらっしゃらないのです。

イタリアの映画監督パゾリーニは詩人でもありました。ということで一編。
う〜ん。教皇に対する人称代名詞が友人なんかに使うざっくばらんなTUなんだな。フランス語訳だと。そこがあんまりうまくいってないよな〜。