クレイユ・モントロー焼



いわゆる郊外線[D2線]をずっと南下したところに
モントロー駅がある。
一度、とんでもない間違いを犯して
この駅に降りたことがあるが
時間にしてどれくらいだったか、
パリから
一時間はかかった、
二時間はどうだったろう、という時間だ。
郊外線にあるので
パリ郊外と言えるのだろうか、
言えたとしても、
このD2線、そのうち廃線になるんじゃないかというぐらい
さびれた線で
それだけにかえって趣がある。
セーヌが
右にたゆたい
左にたゆたい、
きざに言えば、
列車が川とロンドを踊るように
縫っていくのだ。
まぁ、実際、この駅に降りたときは
電車も一時間に一本あるかないかで
しかも冬のさなか、
ぼやき倒しだったのだが。
今回はここの焼き物である。
今はもうない。
十九世紀半ばまでは
モントロー焼きとクレイユ焼き[事実、クレイユはパリ北部]と別に存在していたようで、
フローベールの『感情教育』においても
クレイユ焼きというのがでてくるそうだ。
そのうちひとつにまとまり、
生き残りをかけたようだが、
フランスという国は
日本と違って
なかなか特定の焼き物以外の焼き物には冷たい国で、
それも適わなず、
20世紀前半[1920年ごろ]には既に窯を閉じてしまったようだ。
これはアール・ヌーヴォー風タイルと称して
とあるオークションサイトで見つけたものだ。
何に使うか考えもせず、
ゲットしたのはまぁよいが
家に届いてみれば、
この、タイル、真っ二つに割れておった。
え、何?空手家?
と思ったね。
その旨、売主に写真とともにメールで報告すると、
ごめんなさいね、ただにするから許して頂戴とのこと。
もう、それなら、いっそ、全部割れて届けばいいのにと思ったよ。
不器用ながら、てゆか不器用すぎるが
陶器専用接着剤でくっつけて、
現在はマウスパッドとして彼女は活躍中。
ひび焼きcraqueléの技法を用いているところが
またおつだね、こいつは。


以上、今日は写真をべたべったんする日でした。