マリコルヌ焼



Malicorne
おととい「話し皿」のことを触れたので、
今一度北上して、
マリコルヌ焼のことを。
マリコルヌ、
パリの南西250キロ。
ル・マンから30キロほどの村落である。
起源は1747年、
こんな地域なのになぜだか
カンペール風のデザインで
もはや伝統的盗作とでも言いたくもなるほど
見分けがつきにくいものがたくさんあるのだが、
現在では幾人かの作家がここの焼き物を
現代的感覚を練り込みながら守っていたり、
陶器博物館を作ったりと保存に熱意を燃やしているのだが
なかなかどうして
私の趣味に適わない作風なのだ。
こうなると
マゾヒスティックと言えばよいのか
奇妙なコレクション欲に襲われる。
さぁ、許せる奴はどこにいる?
という探し方をしてしまのだ。
一種のチャレンジ精神だ。
美しいとかかわいいとかではなく
「許せる」か否かなのだ。
そうして
いつまでたっても
許せないので
なんかのついでに
日本円で300円もしないような値で
買ったのがこの小皿。
マリコルヌでは恐らく
最もベタな
エミール・テシエ[1887−1971]によるものらしいのだが、
灰皿なのだろうか、
唯一許せるというのが
「話す皿」という点だ。
しかも文句がなかなか興味深い。
Vieux amours et vieux tisons
s'allument en toutes saisons.
となっているのだ。
直訳すると
「古い愛と古いおき火は
どんな季節でも火がつくものだ。」
ということになる。
どうやら、
「やけぼっくい」のフランス語ヴァージョンらしいのだ。
とはいえ、
彼女は余り愛されていないのだ。
おれに愛されないことに
おれが気の毒に思っているのだ。
かく言う皿に薪がないのだ。